HIGEの独り言
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
加賀野菜に「加賀太キュウリ」というのがある。これがそうかどうかわからないが、9月には、わが家でもこれがキュウリかという程、長く太いキュウリがあった。
「母ちゃん。この前テレビみとったら、加賀の太キュウリというのが出てきたがや。子供の頃、おっちゃ家にもあったけど、ありゃ、夏のもんをとらんで、秋までほっといたもんけ。」
「ほうやね。それもあったし、盆前に植えて、9月に入って食べる秋キュウリもあったよ。秋ギュウリは寿命がそんなにながくなかったけどね。」
「ほんながね。おらぁ、てっきり夏のキュウリがでっかくなったもんやとばっかしと思うとったんやけど、秋ギュウリちゅうのもあったんや。」
「そうやね。」
母親も「秋キュウリ」というだけで、「加賀太キュウリ」にはなじみがなさそうなので、同じモノかどうかはわからない。
いずれにしても、このキュウリは、長く太かった。その分、種が大きいので、たいていは、種の部分は取り除いて使う。食べ方は夏のキュウリと基本的に同じで、味噌をつけたり、梅干しの汁につけたり、酢のものにして食べた。が、肉厚なことから、ジャガイモと一緒に味噌汁の具にしたり、ダシで煮て醤油で味付けしてから、片栗粉を溶かして餡かけにしても食べた。
私が好きだった食べ方は、唐辛子を入れた醤油で炒り煮したものである。作り方を母親に聞いた。
皮をむいて種をとったキュウリを、5~6センチの長さで、親指ぐらいの太さに拍子木切りする。それを、塩を少し入れた沸騰した湯にいれ、キュウリが手に取って曲がる程度(湯が再沸騰するぐらいの時間)でざるに取り出す。次に、それを布巾でつくった袋に入れ、口をしめてまな板の上におく。お釜の蓋をそれにのせて、全体重をかけるようにして押しつけ、水分をしぼりだす。この作業は手早くやらないとキュウリが煮上がって、全体が柔らかくなってしまう。(だから、これは父親の仕事だった)。この料理は、キュウリの弾力とコリコリ感を残すことが大事なのだ。火を通す加減は難しい。十分に水分をしぼったら、唐辛子と少々の砂糖を加えた醤油で炒り煮するのだ。鍋には蓋をしない。これもそんなに時間をかけない。キュウリに醤油が絡む程度でいい。勝手にしみこむ。これはあったかくてもうまいが、冷たくした方がよりうまい。白いご飯のいいおかずだった。
料理の用語に炒り煮という言葉があるかどうかわからない。もしかして用法が間違っているかもしれない。醤油を絡める程度に火を通すということを意味で使った。
秋にとれる長くて太いキュウリの、子供の頃の思い出深い食べ方である。
クーラーを切っての午睡。汗ばんだが、ぐっすりと寝れた。
女房殿が、アイスキャンデーをくれた。寝起きのアイスキャンデーは良い。本当にうまい。
が、半分ほどかじったところで、頭痛が来る。残りは女房殿に。女房殿は信じられないという顔で笑う。彼女は、アイスキャンデーやアイスクリームを食べても、頭が痛くなることはないらしい。
子供の頃、夏のある日の午後。やっぱり昼寝の後だった。父親がアイスキャンデーを買って来いと、20円をくれた。当時、私の村には、駅前にアイスキャンデー屋があった。家から走っていくと7~8分くらいの距離だった。一本5円。みかん、イチゴ、小豆、ミルク等けっこう種類があったように思う。
「父ちゃん、5円足りんが」。わが家は5人家族だ。
「いいんじゃ」
「ほんでも」
「いいさかい」
結局、父親は20円しかくれない。
しかたがないので『きっと父ちゃんは食べんのやろ』と思い、20円を握りしめて走った。
「こんちわー、アイスキャンデーくだいま」
「いくつほしいが」
「4つ」
どんな種類を注文したか覚えていないが、店のおばちゃんが、「20円ね」と言って、紙袋に入った4本のアイスキャンデーを手渡そうとして、私の顔を見て、
「おまんなぁ、早苗ちゃんとこの子やろ」と言った。
「うん」
「早苗ちゃんと顔ソックリやさかい」
そして「おまけ」と言って1本追加してくれた。
「あんがとう」
とけないように、全速で家に帰る。
「父ちゃん。1本まけてもろたわ」
「そうやろ」
それからも、父親は20円しかくれなかった。
おまけをもらうのがちょっと恥ずかしかったが、後で、父親と店のおばちゃんは、幼馴染だということを知ってからは、それに甘えることとした。
久しぶりに、父親のことを思い出した。
東京では大抵、焼き魚の横に大根おろしがのっている。大根をすりおろし、絞っただけのものだ。それにちょっと醤油を落として焼き魚にのせて食べるという。サバやサンマの焼いたものは、必ずそうやって食べている。
そもそも大根おろしを焼き魚にのせて食べるということはしたことがなかった。冬、ぶりの刺身には、醤油にこのような大根おろしを混ぜて使うことがあるにはあったが、焼き魚にそうしたことはなかった。大根おろしによって、脂っこいものは、確かにあっさりした口当たりになり、沢山食べることができる。が、大根おろしと言えば、味噌と酢で味付けするのが普通だと思っていた。大根おろしそのものを食べる時も、おろし餅の大根おろしも、ナマコや牡蠣を食べる時も味噌と酢で味付けした大根おろしである。大根をおろしたものをそのまま、あるいはちょっと醤油をかけただけのものを食べたことはなかった。
大根おろしは、大きな鉢にいっぱい作る。汁けたっぷりの大根おろしを、熱い炊き立てのご飯にぶっかけてかきこむのだ。大根には、ジアスターゼというご飯の消化を助けるものが入っているからいいんだといわれ、安心して何倍もおかわりしたものだ。大根おろしだけ飲んだりもした。味噌の香りと酢の味は、熱いコメのご飯をよりおいしくする。今でもそうやって食べるのが、大好きである。私は酢の濃いのが良い。ちょっと七味唐辛子など振り掛ければいくらでもいける。暑い夏、食欲のないときはうってつけだ。
私の田舎には見たことはなかったが、「鬼おろし」という竹で作った大根おろし器がある。これでおろした大根おろしは、水分が出るのは少なく、感触が実にいい。もちろん味噌と酢で味付けする。ご飯にかけても、単独で酒のあてにしても良い。鬼おろしを使ったぶっかけうどんというのがあるらしい。絶対うまいと思う。
生ニンニクをひとかけらすりおろす、そこに等分の醤油を注ぐ。それが白菜の漬けもののつけタレである。漬物は本来はそのまま食べるのだろうが、香りづけのために醤油をかける人もいる。わが家では、それがときどき、ニンニク醤油となった。
白菜の漬物は、子供の頃は白い根っこの部位より、緑の葉っぱの先の方が好きだった。漬物樽から出して、固く絞って刻まれた白菜の漬物、その葉っぱの部分を、ご飯の上でひろげ、ご飯を包んで口に頬張る。漬けた高菜の葉っぱで包んだおにぎりを見るのは大人になってからであるが、それと似たようなものである。
白菜の漬物と醤油、そして白い熱いご飯、まずいわけがない。その醤油におろしニンニクが入っている。ニンニクのすりおろしたものは、とても臭いし、かなり辛い。食べるのはうまいが、その後の吐く息のくさいのは、餃子を食べた後と同じだ。だから、この食べ方は、次に日が休みであること、周りの皆が食べることに尽きる。
ここで生ニンニクの思い出。
味噌ラーメンに生ニンニクのすりおろしをたっぷりかける。
生ニンニクをスライスしたものを一緒に食べる高知のカツオのたたき(これでカツオのたたきというものを好きになったのだが)。
中国からのお客を接遇したときのこと。食事は日本のラーメンが良いとのことで喜多方ラーメン。黑酢は不可欠だがこれは持参する。そして生ニンニク、というのが相手のオーダだった。にんにくはスライスするか、それともそのままか。とりあえず二通りのものを出した。彼のやり方を真似するしかない。ラーメンをすすり、スライスしていないほうのニンニクを少しかじった。それを繰り返し、ニンニクは食べきった。みならったがこれは辛かった。だが相手はすごく満足げだった。日本のラーメンも、ニンニクもうまいと言ってくれた。生ニンニクを常食するのが中国の食生活かどうか知らないが、その客を見ていると、ニンニクは元気のもとであることは確かなようである。ただ、どうだったのだろう。中国産のニンニクと青森産のニンニクとは、味も、においも、辛さも明らかに異なる。値段も相当に高い。要するに青森産はうまいし辛い。辛くなかったのだろうか。
白菜の漬物も、ニンニク醤油も、今では、遠い思い出となった。