先日、京都に出張する同僚が、どんな土産が良いですか?と言ってくれたので、八ツ橋が良い。今の柔らかい、三角の、生のではないやつ。固い、半円筒形の昔からあるのが好きなんだ。と応えたところ、えエッ、あんなのでいいんですか。
ニッキの香りとあの食感、噛むと歯の縁にくっついてくる。べろでとろうとしてもなかなか取れないで、いつまでも口に残っているそれが良い。
土産として高いものかどうか知らないが、ともかく軽い。それがよい。だから同僚もそれではと一箱土産に買ってきてくれた。本当に久しぶりの八ツ橋で、昔のとおりで懐かしかった。
そこで、ふと思った。何で八ツ橋がこんなに懐かしいのだろう。
「母ちゃん。昔のことやけど、おら、八ツ橋を食べたことをおぼえとるがやけど、なんでおっちゃうちに京都の八ツ橋なんかあったがかいね。」「そりゃ、よそきっつぁのおっちゃんが、京都の人やから、よう土産にもろうたんと、おらちゃんとこは、ほれ、納骨に京都へ行くやろ。その土産はたいてい八ッ橋やったがいね。」よそきっつぁとは、父の母の実家で豆腐屋をしていた家のことである。おっちゃんは、宮大工で京都から出て来ていて、養子になった。私の故郷は浄土真宗が主で、人がなくなると、京都の本願寺へ納骨するのが習わしであった。
そうか、それで行ったこともない京都の八ッ橋が、記憶に残る懐かしい味だったのだと、今になって納得したのだった。