HIGEの独り言
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こんかイワシ。米糠で塩漬けしたイワシである。
福井県越前のサバのへしこが有名なので、いささか抵抗があるが、サバをイワシに置き換えたものといえばわかってもらえるだろう。そう言うことに何故抵抗があるのかといえば、サバのへしこは、こんかイワシの亜流と思っていたからである。
こんかイワシのイワシをサバに置き換えたものがサバのへしこと、本当は言いたいのである。
が、この頃、居酒屋でサバのへし子が酒のあてに出るようになって、あらためて母親に聞いた。
「母ちゃん、おまんなぁ、サバのへしこという、サバのこんか漬けをしっとるけ」。返事は「うん知っとるよ。こんかサバは見たことないけど、オラのおばばから聞いて知っとったよ。ほんやけど、オラちゃんとこは、こんかイワシしかなかったよ」。
そうか、へしこもあったのか。ということで、あえてどちらが先で、ホンマモノかはこだわらないことにした。
村には、石崎という漁師町から、おばさんがリヤーカーでとれた魚を日々売りに来ていた。その季節になるとイワシが沢山獲れたのだろう。「かかりめはいらんかねェー」の売り声を覚えている。何故イワシのことをかかりめと言ったのかしらないが。わが家でも新鮮なイワシをたくさん買って、こんかイワシを作った。
「イワシの頭を手でちぎるとダダミ(内臓)も一緒にとれるんや。真子や白子はそのまま残るけど。それを洗って、一度、塩で4~5日あら漬けした後、塩と米糠それになんばをまぶして、本漬けするんや。100匹以上も漬けたかのう。」
沢庵と同じ漬け方で、大根がイワシになったようなものだ。父と母が木の樽でイワシを漬け込んでいるのを覚えている。
こんかイワシは、そのまま焼いて食べる事が多かった。しょっぱいが、糠の焼いた香ばしいにおいはコメの飯には本当に良く合っていた。
また、この頃、居酒屋でするように、サバのへしこの糠を落としてそのまま食べるというやり方を、こんかイワシでもしたそうである。親父はそれに酢をかけ、一杯やったらしい。
私が好きだったのは、わが家でこんかイワシの土鍋と言っていたものである。こんかイワシを糠のついたまま2匹ほど土鍋に入れ、水から炊き、煮立ったら身をほぐし骨をとりだして、これに白菜、大根を入れて煮るというそれだけのものである。たった2匹のこんかイワシだが、かなりの量の白菜や大根を味付るのに十分である。これもコメのご飯を何倍もおかわりできる冬のごちそうであった。
イワシが庶民の魚から高級魚になった今日、こんかイワシを口にする機会はめったになくなってしまった。さびしい限りである。
「母ちゃん、母屋の玉子巻きにねえ、醤油と砂糖を入れるんやて」。
「そんなん、気持ち悪いね」。
わが家の玉子巻きは、いわゆる塩味のプレーン焼きであった。玉子の香りがたまらなくいい。母親にとって、そこに醤油や砂糖を入れて味付けすることなど思いもよらなかったに違いない。子供にもそれをおいしいとは想像できなかった。
玉子巻きに何かをかけるとすれば、ウスターソースと決まっていたからである。でもよく考えれば、玉子かけご飯は醤油と決まっていたのだが。
母親の玉子巻きは、薄く焼いたものを幾重にも巻くやつである。箸の先でその薄い膜をめくって食べるのが好きだった。今でも、バウムクーヘンでも、湯葉の巻いたものでもともかく薄い層を巻いた物は、剥しながら食べるのが好きである。
巻き筋が見えない玉子巻きがあるとは知らなかったし、伊達巻という味がついたものを知るのは大人になってからである。
近頃居酒屋では厚焼き玉子がなかなかの人気だ。でもなかなかわが家ような玉子巻きには出会えない。
(わが家は父が分家して本家の傍にあったことから本家のことを母屋といっていた。)