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HIGEの独り言

ボラの茶飯

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ボラの茶飯

私が育った石川県能登半島の付け根、口能登と呼ばれるところに、「邑知潟(おうちがた)」という潟湖がある。邑知潟は、羽咋川で日本海とつながっていて、その季節になると、たくさんのボラが海からやって来た。湖面が波立つほどの群れだ。これを手製の竹竿、餌はミミズで釣る。潟でのボラ釣りは、父親と一緒にできる遊びであり、競争心を煽る漁でもあった。

ボラは、本質的にはおいしい部類の魚だと思う。刺身やあらいはうまい。ただ、ボラは悪食だ。潟までやってきたものは、上手に捌いてやる必要がある。内臓をきれいに取り除かないと、若干泥くささが残ることがある。でも好きな人は、それはそれでとあらいを楽しむ。刺身やあらいに子供の関心は薄い。あるのはボラの臍とボラの茶飯だ。

ボラには臍がある。一匹に一個、そろばん玉のような形をしている。臍を何個も串に刺し、醤油ダレをつけて焼く。香ばしく焼き上がった筋肉質の臍は、父親の酒のあてとなり、子供たちの取り合いのおかずとなった。

ボラの茶飯は、ボラのかば焼きの茶漬けのことだ。ボラの釣果にもよるが、囲炉裏には、沢山のボラの竹串が立並んでいた。囲炉裏は煮炊きの場だ。囲炉裏の火にはいろいろある。薪をくべたばかりは煙が主役だ。家中煙たい。薪が燃え盛ると炎が主役となる。家族が集まり煮炊きや暖をとる。そして熾火だ。囲炉裏の熾火は消すことのないよう灰を被せておく。囲炉裏のボラは、煙に燻され、炎で表面を焼き焦がされ、遠火の強火でじっくりと焼かれる。その間、串の位置を入れ替え、ボラの裏表を入れ替える。この作業には加減があり、子供の仕事ではない。

程好くできたボラの白焼きに、砂糖、酒を加えた醤油ダレをかける。それを焼いて、またタレをかける。数回これを繰り返すと、ボラのかば焼きのできあがりだ。丼に盛った熱いごはんの上に、できあがったばかりのボラのかば焼きをのせる。醤油ダレを少しかけ、そこに熱々の煎茶をたっぷりかける。ダシではなく、煎茶だ。ボラの身をほぐし、丼の中でこれらをかき回す。かば焼きのうまみが煎茶にとけだす。香りもご飯と醤油だれと一体となる。ボラだけでもなく、タレだけでもない。全体にうまさがいきわたった熱い茶漬けのできあがりだ。これをハフハフしながらかきこむ。ボラはたっぷりある。おかわり自由だ。ボラの茶飯は、小腹がすいたと時とか、飲んだ後のしめの茶漬けではない。わが家ではメイン料理だった。

やがて邑知潟は干拓され、そのほとんどが農地に変わった。羽咋川にも堰が設けられボラがやってくることはなくなった。立ち並ぶボラの竹串の場所や裏表を入れ替える父や母の、囲炉裏火で赤く染まった顔や、その作業を見ながら、これはとねらった串から眼が離せなかったこと、それが自分の丼にのせられた時の嬉しかったことなど、家族みんな一緒に食べた熱々のボラの茶飯は、遠い昔の懐かしい、おいしい記憶となっている。

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