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母の詩

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母の詩

今日は、嬉しいことがあった。母親から、詠んだ俳句を知らせてきたのだ。
子供の頃から、俳句を作ることが好きだったという。
若干認知症が進んだ母の、子供66歳にして初めて知った告白であった。
かって(子供の頃)詠んだ句で思い出したものが以下のとおりである。(必ずしもその時詠んだものとは同じでないかもしれない。)

光る空 藤の花 一輪

藤の花 柵につながり 下がってる

はたの音 今日も 母の声がする

椿の花 オラの顔見て 笑ってる

柿の葉が おいでおいでと 言っている

親もとへ 寄ってくる 雀たち
 
素直な句だと思った。
好きだということなら、どんどん詠んだら、そしてできたら教えてほしいと何回か催促した。老いた母であるが、一人の人間として自分がもはや用済みの人間だとは絶対認めたくないはずである。これは誰しも同じだ。生きている以上老いは止めることはできない。受け入れざるを得ない。だが、人間の尊厳性に対する執着は決してなくなるものでないと確信している。それが意識として残っている限りそれを引き出す手助けはしなければならない。

2015/06/29 2000頃電話があった。
就寝前に庭に植えたナスとトマトを窓際から見て詠んだという。私が何回か催促したことを実践しようとしてくれたのである。ノートと鉛筆を持参したということである。
今日何をした?誰が来た?何処へ行った?電話で意図的に繰り返してきた会話である。「さあ、どうしたんやろう。忘れたわ。」と簡単に返事する。それを思い出すよう促し、何かきっかけとなるものを言ってやる。たいていの場合思い出す。時には混濁して事の前後や過去のことが入り混じることもある。それはそれでよいと思う。ともかく昔のことは今も鮮明に記憶しているのだから。
老いだ、病気だということは簡単である。諦めることは容易い。それを受けいれられるかである。誰しも受け入れたくない。認めたくない。それが人間というものだ。正常な人は自らそうできる。それを失いつつあるなら、手助けしてやれば良い。そのことが次の句を詠んだからと電話してくれたことで実現した。人の申し出に対して、母がその気になってくれたということである。こんな嬉しいことはない。
 
軒下の なすび実をつけ 楽しけり

その隣 赤い顔して トマトひとつ
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