HIGEの独り言
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生姜をすりおろす。ほぼ同量の味噌を加える。それをよくかき回す。たったこれだけのものだ。生姜味噌を塗ったくり火に炙った焼きおにぎりはよくある。それがまずいわけはない。生姜味噌は、私の貧乏グルメのトップにあるものである。
子供の頃、大抵の家では、味噌は自分の家で作っていた。味噌を作るのはそれぞれの家では一つの行事だった。私の家でも、味噌樽(桶)が二つあった。こんかイワシをつけた樽やたっかん大根、白菜、なすび、梅干し、ラッキョウ、キュウリ等をつけた樽が、土間の一画に作られた部屋で、一緒におかれていた。
母親に聞いた味噌の作り方。水に一晩浸しておいた大豆を、蒸篭で蒸す。あるいは鍋で煮る。蒸し上がった大豆を機械(なんという名前か知らない。大豆つぶし機と言っておこう。)で潰すのだ。大豆つぶし機は味噌樽の上部に置く。豆をすくっては、つぶし機の上部にある投入口に入れ、横にあるハンドルをまわすと、たくさんの穴が開いた出口から、いわゆるミンチとなって出てくるのだ。母親が大豆を入れ、父親がとハンドルをまわすのを覚えている。母親によれば、「父ちゃんと交代でやらんと、手が痛くなるさかい。」
この大豆つぶし機は、味噌つくりに必要な麹(米麹)を買う時に、その店から借り受けるということだ。そういう店が、母親の出た村にあり、後にわが村にもできた。麹造りを兼業としていたのだろうが、当時はそれだけのニーズがあったのだ。
大豆は、熱いうちでないと潰れないそうだ。だが熱いうちに麹を入れることはできない。適当な温度に冷めると、そこに麹と塩を入れるのだ。大豆、麹、塩の割合は、1:1:1。わが家では、麹はプラスアルファしたとのこと。味噌桶は、味噌1斗用のものだったらしい。大豆5升の場合は麹2升を、1戸の場合は3升を目安にプラスするのが、わが家のやり方であった。仕込んでから3年たった味噌がうまいということで、消費と残量を見越して、味噌を仕込む。だから味噌作りは毎年のことではない。
全て入れ終わると、父親が上半身裸となり、樽の中に腕を突っ込みかき回していた様子が脳裏にある。こうしてできあがったものを、日に2~3回、約一か月、味噌をかき回す専用の棒(櫂棒:かいぼうというらしい)でかきまわすのだ。
その後、味噌の表面にカビや腐敗を防ぐ塩を振る、特に味噌と樽との縁に多めの塩をかける。その上に新聞紙を敷く。そしておからに塩を混ぜたものでぴっちりと蓋をするのだそうだ。これは知らなかった。重しとハエやごみからも味噌を守るためだ。そして樽に木製の蓋をして熟成させる。
蒸し上がった大豆に醤油をかけておいたものを食べるのが、子供の頃の楽しみであった。「おまんな、おぼえとるかいね。豆に糸を通して、数珠にして、干しといたもんを食べたが。」そういえば、かちんかちんに固い干し豆を食べた。そうか、味噌を作るときに作ってくれたものだったのだ。
「味噌つくりは、寒の時期に仕込むがと、梅雨時期に仕込むがあったんよ。梅雨時期のもんは、麹の発酵にが良いということやったけど、おらんとこは寒がうまいということで、寒に仕込んだもんや。」
この自家製の味噌だからこそ、生姜味噌はうまいのだ。熱いご飯にこの生姜味噌を塗りつけて食べるのだ。一口、一口ごとに箸でとって食べるのだ、生姜は子供にはちょっと辛く、熱いご飯がその辛さを倍増する。だがそれが良い。辛いがうまい。これだけで何のおかずもいらなかった。
食卓に久しぶりに焼きうどんがのった。ハム、玉ネギ、ニンジン、もやしとうどんを炒め、ウスターソースに市販のタレを加えて味付たものだ。好みに胡椒をふりかけ、酒のあてでつまんだ。
子供の頃、ソース焼うどんは大好きなものの一つだった。ゆでたうどんを油で炒め、ウスターソースで味付たものがベースで、玉ネギ、キャベツ、ピーマン、ニンジンなど野菜があれば加えられた。肉やハムあるいはソーセージが入っていたかどうかは定かでない。うどんに絡んだウスターソースの味と焦げたにおいは、たまらなかった。うどんだから、おかずではなく主食だった。他におかずがなくても、腹いっぱい食えるのが良かった。
母はうどんの代わりにそーめんやひやむぎでもつくってくれた。ウスターソースばかりでなく、醤油をベースにしたり、塩、コショウをベースにしたりして工夫してくれた。随分後のことであるが、沖縄でそーめんチャンプルを食べた時、とても懐かしかったことを覚えている。
今では焼うどんや焼きそばは珍しくもなんともないが、うどんや、そーめん、ひやむぎをそうやることを母は誰から教わったのだろうか。
ミートソースのスパゲティやナポリタンなんていうものを知ったのはずっと後のことだ。だからさすがにケチャップベースのものはなかった。
「先輩、津軽ではどんなに貧しくても、たくあんを煮て食べるなんてことはしませんよ!」
子供の頃、故郷ではどこの家でも、たくあんを漬けていたものだ。干して皺皺になった大根を、糠と塩そして唐辛子を入れて漬ける。わが家では、結構大きな木の樽に漬けた。家族で1年以上にわたって食べるのに十分な量だ。
翌年、またたくあん漬けをする頃には、樽の底の方にはまだ沢庵が残っている。発酵が進み若干酸っぱくなっているものもある。酸っぱいのはそれはそれでうまい。細かく刻んでご飯にまぶしおにぎりにしても良いし、焼き飯の具にしても良い。薄く切ったたくあんになんばんの粉をかけても良いし、生姜を細く刻んでまぶし醤油を少しかけるのも良い。
さてたくあんの煮物。作り方を母親に聞いた。たくあんを取り出し水で洗って糠をおとし、輪切りにする。塩抜きの意味でそれを一度水から煮てさっと沸騰させるのがコツ。それを取り出しあらためて水から煮る。ダシは煮干し。酒粕となんばんを入れる。塩気が少なければ味噌や醤油を足す。それは好みだがわが家は味噌だそうだ。
皺皺で細くなっていたたくあんが、煮上がるころは元の大根の大きさに戻る。大根の薄切りの煮物は、荷崩れすることが多いが、これはそんなことがなく、むしろ生のものより。食感はしっかりしていたように記憶している。煮ている最中や鍋のふたをとると、たくあん独特の日本人が好むにおいが周りに漂う。これが食欲をそそるのだ。一寸しょっぱめだが、なんばんのピリッとした辛味と煮干しだしと酒粕によって口当たりの良い味となったたくあんの煮物は、熱いご飯に本当によく合う。これはあったかくても、冷えても良い。弁当のおかずに入っていたこともあるような記憶がある。あったとすれば私のリクエストだったのだろう。それほど好きだった。
たくあんだけでなく白菜の漬物も同じようにして食べる。白菜が柔らかくなり過ぎないようにするのがコツだそうだ。なぜ、こんなものがうまいのか。それはきっと糠の所為だろう。たくあんも白菜も糠でつける。だから糠漬けの漬物はうまい。古漬けになったそれを煮るのだから当然うまい筈、と自分では納得している。
津軽地方も漬物は沢山漬けるそうだが、煮て食べることはなかったと後輩は言った。古くなった物は捨てるそうだ。もったいないことをしてとその時思ったことだった。
「母ちゃん、たっかん大根の炊いたが食べたいけど。あれホンマにまいがいね。」「ほんでももうたっかんなんか家で漬けておらんがいね。」
全国各地の様々な漬物や即席の漬物が簡単に手に入るようになって、減塩で健康志向が高まり漬物もコメを食べることも少なくなったこの頃、自分の家でたくあんの糠漬けを作ることもなくなってしまった。そして懐かしいたくあんの煮物も食べることももう無い。残念なことだ。
朴の葉で包んだおにぎりだ。山の畑しごとの昼飯での楽しみだった。手塩で握ったおにぎりをきな粉でまぶし、柔らかく青々とした朴葉で包んだだけのもの。昼飯で食べる頃には朴葉の香りがきな粉のおにぎりに移り込み、それが何とも言えない味と香りを持ったものに変身している。しょっぱいものや辛い物、刺激のあるものが好きだった私だが、朴葉のおにぎりは仄かな香りと味しかしない。しかも冷たくなっている。でもなぜかこれが好きで、これを食べたくて、母親に作ってもらいたくて、新緑の季節になると山に入ってはできるだけ大きい柔らかそうな朴葉をとって来たものだ。
ちなみに、朴の葉は一枚一枚は楕円形であるが、それが丁度風車のようになって数枚ひとかたまりとなっているのが特徴である。だから固い葉っぱはそのままとってきて、先端を適当に切って風車にして遊んだものである。朴の木の樹皮は、それを優しくたたいたり、揉んだりすると簡単にスポット抜ける。適当な枝は、チャンバラには格好の刀となる。
そして、朴葉のおにぎりの味付けのもう一人の主役がきな粉である。塩も砂糖もいれない、プレーンのきな粉でなければならない。朴葉のおにぎり以外で、ご飯にきな粉をかけて食べることはない。おはぎにきな粉や、餅にきな粉はよくある(実は私はあまり得意ではない)。朴葉とプレーンのきな粉の組合せがベストなのである。
定年となりテレビと友達になったある日、岐阜の風景だった。何と全く同じ朴葉のおにぎりを山仕事の昼飯に食べているのが紹介された。わたしと同年代。全く私と同じ感想を述べておられた。「何とも言えない香りなんですよ。」(岐阜には朴葉味噌という名物がある。これは大きな朴の葉に包んでいるが、微妙な朴の香りを楽しむものとは異なるものだと思う。)
「母ちゃん。テレビで朴葉のおにぎりやっとたよ。おまんが作ってくれたんといっしょやったわ。」「ほうかね。」「あれはまーかったなぁ。」「あんなもんがね。そういや(そういえば)、おまんな好きやったね。」「そうや。」