HIGEの独り言
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海苔と言えば巻きずし、おにぎりはとろろ昆布であった。何時からかおにぎりも海苔で包むようになった。1枚の海苔の上にちょっと小ぶりのおにぎりを直列に3個くっつけて置いて包むのだ。食べるときはそれをちぎる。だから真ん中のおにぎりは、両サイドに海苔はついていない。おにぎり一個一個を海苔で包むようになったが、わが家では、海苔よりもとろろ昆布が主であった。
高校生の時、海苔弁がはやった。ご飯の途中に海苔を一枚挟んだ豪華2階建のものだ。確かに海苔の香りは良いが、ご飯の水分で海苔のパリパリ感は無くなっている。弁当箱のふたにくっついていることが多かった。皆がのり弁だから私もそうしてもらったが、ある日海苔が切れたことから、母親は海苔の代わりにとろろ昆布を乗せてくれた。とろろ昆布は水分を吸っているが、とろろ昆布は冷えたご飯を固くすることもなく、その塩気と味がご飯とよくマッチしていて、私はのり弁よりこの方がよっぽどうまいと思った。
「母ちゃん。とろろ昆布の方がまーかったわ。これからとろろ昆布にしてま。」「ほんでも、なんか貧乏たらしいないかいね。」「ンにゃ。そんなことないわね。」海苔の方が何となく高価なイメージがあったのだろうか。見てくれが悪くても、貧乏くさくてもうまいものはうまいし、好きなものは好き。それ以降、私の弁当はとろろ昆布となった。
とろろ昆布は何と言っても昆布だから、まずい筈がない。そのままご飯にのせても良いし、醤油をかけて食べても良い。醤油を少しかけお湯を入れれば即席の汁となる。醤油の代わりに梅干しでも、味噌でもいい。あったかい素うどんにとろろ昆布をどっさりいれて食べる、味噌汁にちょっととろろ昆布を入れる。一味違ったおいしさとなる。
海苔の代わりにとろろ昆布を使った時の申し訳なさそうな母親の顔を思い出す。「母ちゃん、海苔もまいけど、とろろ昆布の方がよっぽど味があるさかい、おらぁ好きなんやて。」
今、私の家では海苔が主だ。とろろ昆布が食卓にのることはほとんどない。関東だからなのか。浅草海苔の本場だからか。
モミイカとはイカを内蔵をとりださずに塩漬けして、天日に干したものである。焼いて食べるのである。焼くとモミイカは全体が縮み込んで腹が少し膨れる。イカのワタが膨張しとけるからである。しょっぱいので包丁で切って少しずつあったかいご飯の上にのせて食べる。モミイカの焼き焦げた独特の香りと、舌がしびれるようなイカワタのほろ苦さが子供にもたまらなかった。
金沢の居酒屋ではモミイカを酒のあてに置いてあるところもある。熱燗に良く合う。血圧高めの身には注意信号も出るが、つい箸が出てしまう。
「母ちゃん。久しぶりにモミイカ食ったわ。」「からいから(塩からい)あんまり食べたらだちゃかんよ。酒も飲みすぎんようにな。」
子供の頃モミイカはどこにでもあるものだったが、いつしか食卓から遠いものになり、上品になり、高価なものになって、近所で簡単に手に入るものでなくなってしまった。
九里(栗)4里(より)うまい十三里とはサツマイモのことだという。サツマイモは栗よりうまいということをうまく言ったものだ。
子供の頃のサツマイモに、皮が白っぽいのがあった。もちろん赤色のも。どれがどれだかわからないが農林1号とかいう呼び名を覚えている。今、スーパで売っているような「べにあずま」とか「安納芋」はなかった。
私は、蒸かしたサツマイモは、ホクホクというより、ビチョビチョになるので嫌いだった。また皮と実の間の部位は繊維が多いのとサツマイモ独特のにおいがきつく好きでなかった。私の子供の頃は、さすがにサツマイモをコメの代わりに食べるということはなかったが、おやつ代わりでこれは珍しくなかった。
囲炉裏で火を焚く時や、熾火に灰を被せて終う時、その周りの灰の中にサツマイモを埋め込んで、焼き芋を作るのだ。灰の中からこれを取り出し、手で挟むようにしてパンパンとたたき灰を払い落す。相当に熱いが我慢のしどころだ。火に近かったところはかなり焦げるが、これがホクホクして甘くなった焼き芋の目安だ。これは本当にうまい。大好きだった。大学イモ、イモかりんとう、イモ羊羹なんてものは食べたことはなかった。
サツマイモの料理では、味噌汁の具や天ぷらがあった。イモきんとんは知らなかった。味噌汁の具はなぜか皮つきでこれは嫌いだ。イモ天は皮をとって揚げてあり、これはホクホクして大好きだ。天つゆでなく、ウスターソースをたっぷりつけて食べる。わが家の食卓ではイモ天は主役の一つであった。
今ではサツマイモの料理やお菓子はたくさん紹介され、そのレシピも公開されるようになった。最近、女房殿がサツマイモ入りご飯を作ってくれた。皮つきである。料理の腕はもちろん、イモも良かったのであろう。イメージとは違いこれはおいしかった。
「母ちゃん。さつまいもご飯初めてたべたがやけど、まーかったわ。」、「そうやろ。」、「おまんもしてみんち。」、「まいとは思うけど。子供の頃いっぱい食わされたもんで、どうしてもあん時のにおいが鼻につくんや。ほんやからあんまり好きでないがや。」
母親の子供の頃、コメのかさましにサツマイモもよく使ったとのことである。学校に持っていく弁当は、親心であろう、できるだけサツマイモをいれないで持たせてくれた。ここまでは良い。コメを取り除いた後、おひつに残るのはイモばかり。これは結局食べなければならない。しかも冷えてしまっている。毎日ではないがこれが続く。母親でなくとも、鼻につく記憶として残るのは当然かもしれない。
何もない時代、母親は僕ら子供3人のために様々な工夫をして料理をしてくれた。ご飯は主食であり、間食のおやつの役目も果たした。「母ちゃん、腹へったぁ、なんかないかいねぇ」。「ままでも食っとけ」だった。
わが家では、近所のほとんどがそうであったように、お釜でご飯を炊いていた。(村にプロパンガスが普及し、ガス釜に変わるまでお釜だった。電気釜になるのはずっと後のことだ。)ご飯は土間においた鉄製のへっついでワラを燃料として炊いた。ワラは沢山あったし、その火力がご飯を炊くのに適していたのだろう。
蒸気機関車の運転士の父親によれば火加減は蒸気機関車にとっても大事のことだそうだ。「蒸気機関車か真っ黒な煙を吐くのはへたくそな証拠。機関助手に石炭込めを指示するのは運転士の仕事。石炭を入れ過ぎると不完全燃焼で煙が出る。完全燃焼すれば本当は煙は青白い。そのように石炭はくべるのだ。」
ご飯が上手く炊けるコツは昔から火加減だ。ワラは火加減を調整するのに適している。ただ煙もよく出る。おかげで煙が天井を伝い僕らの寝ているところに下りてくる。煙たくてたまらず目が覚める。そんな調子であった。確かにワラで炊いたご飯はうまいような気がした。
お釜で炊いたご飯の、子供にとって一番の楽しみはおこげの部分に塩をまぶして作るおにぎりだった。適度なおこげができないとご飯はうまく炊けないのではと思う。度が過ぎるとごはん全体が焦げ臭くなり台無しとなる。だから火加減、だからワラだったのだろう。おこげは茶碗に盛るよりおにぎりが良い。ご飯は熱いうちにお櫃に移しかえられる。
お釜はしばらく水を浸しておく。お釜にくっついた焦げやご飯粒をとりやすくするためである。流しでお釜を洗っている母親が手で米粒を洗い落としながら底にたまったのを手ですくって食べるのである。実はご飯というものは、湯づけはもとより、冷たい水をかけて食ってもうまいのだ。嘘だと思ったらやってみたらいい。「母ちゃん、うまいかいね」。「うん、うまいよ」。「昔から、釜を洗うのは嫁の仕事と言ってな、姑に遠慮して腹いっぱいまま食えん嫁さんのために、釜にくっついた米粒はとっとくもんやったらしいよ。普段はどんだけつつましかっても、わざとご飯粒を残したもんやと」。
最近の電気炊飯器はお釜で炊いたようなご飯を目指しているという。そのためにはおこげがキーなのだと思う。ご飯粒が釜のヘリにくっつくことももうない。熱いご飯に水をかけてかっ込むこともないのだろう。
だいぶん前の話だ。昼食時、誰かが自分の畑で栽培したきゅうりを差し入れてくれた。皆、子供の頃、夏、腹がへると畑からきゅうりをもいで食べてという共通体験を持っている。そこできゅうりに何をつけたかということ話題となった。塩と味噌が半々。塩は竹の皮に包んでつけたらしい(あるいは、きゅうりを食べ、塩をちゅうちゅう吸った)。私は梅干しというと、皆が「ええっ」のリアクションだ。梅干しの壺に手を突っ込むと、指でころあいの梅干しが2つ3つとれる。それをかじったきゅうりの表面に塗って食べるのである。きゅうりはいくらでもある。梅干しがなくなるまでおかわり自由だった。が、梅干しをつけるのは少数派だった。あとから顔を出した若い子が、マヨネーズと言ってこの話は終わった。
ずっと後になって高崎の友人が、私の家のは梅干しでなく、梅漬けだと言った。彼の家の梅干しは、乾燥した後、梅酢に戻さない。それがホンマ物だと。それじゃ梅酢はどうすると訊くと、捨てるという。それはもったいない、だから、家の梅酢できゅうりや大根を1~2時間浸しておいたものをもごちそうした。当然のことながら酒のあてに気にいってくれた。
母親は、梅干しづくりの名手だと思っている。紫蘇を使った昔からある梅干しだ。塩分濃め(20%)だが、色は本当にきれいな赤色だ。赤い着色料を使ったのかと見間違うくらいに。だが全然違う。弁当箱の白いご飯の真ん中に梅干しを置いた日の丸弁当。母の梅干しは日の丸の「白地に赤く」の旗そのもので私にはそれが自慢だった。ご飯と梅干しだけ充分。これこそ日本のめしの原点だと思う。
母の梅干しづくり。「青い梅に風呂敷なんかかけて3日ほど置いて少し柔らかくなったら、綺麗に水洗いし、水気をとって、塩で漬けるんや。2日か3日で水があがってきたら、梅を一旦取り出しておく。そいで摘んできた紫蘇の葉を塩で揉むんや。最初は青い汁が出てくるさかい、よく絞ってその汁をほうるんやよ。また塩でよく揉み出てくる汁を捨てる。これを何回か繰り返すんや、そうせんと梅干しは綺麗な赤にならん。これでいいと思うたら固く絞った紫蘇を梅を漬けとった塩水に一旦入れて塩水を赤くしたら、紫蘇を取出し、梅を入れ、その上から紫蘇を被せるように置くんや」。「おまんなぁ、干しといた梅を夜露にかけるとかいっとたんがおぼえとるけど」。「そうや、3日ほどお日様に干いては梅酢に戻すんや、4日目は夜8時ごろまで外において夜露をかけてから梅酢に戻して、次の日はそのままにして、その次の日にもう一度夜露をとるんや。ホンマは一晩中というけど、雨が降ったらこまっさかい、オラは大抵2回したわ」。「何で夜露なんや」。「そうすると梅干しの皮がやらこうなるからや」。私は長いこと夜露に晒すことで梅干しが綺麗な赤に染まると思っていたが、夜露に晒すと逆に色が悪くなるとのことだった。まぁ、経験がもの言う加減があるのだろう。
皮をむいて一旦塩であら漬けした生姜を、別に取り出した梅酢につけた「紅生姜」。これもまたご飯と本当に相性がいい。サイコロ切りしてご飯に混ぜたおにぎりは本当にうまい。梅酢は捨てたらだちゃかんのや。